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2016年10月9日日曜日

学区の運動会で疲れるとともに「モノ」の意思を感じる

今日は町内会対抗の学区の運動会だった。

役員なので当然何やかやと仕事がある。その仕事だけでも大変だが追い打ちをかけるようにトラブルが発生して 余計に疲れた。

そのトラブルに際して、モノには所有者の意思を感じ取る能力があるのではということを改めて感じた。

朝に荷物を会場に運ぶために車で町内会の会館に向かうと・・・。車が重い。
降りてみると後輪がペチャンコだ。 4年目だがまだ1万kmしか走ってないのにパンクするのか? 5月の点検では「まだ新しくて溝が深いから云々」と言われたのに? 夜間に嫌がらせをされたのか? ならこれから毎日パンクさせられるのか? などいろいろな考えがめぐったが、とにかく仕事をしなければならない。

幸い若い時の勤務地が雪国だったのでタイヤ交換は手慣れたものだ。10分経たずスペアタイヤと交換して何とか間に合った。不幸中の幸いだったことはスペアタイヤとサイズが合ったことだ。

実は最近タイヤをサイズの違うものに替えようかなと漠然と思っていたのだ。今の車に最低あと4年乗るとすると、さすがに今のタイヤでは持たないだろうからどうせ買い替えるなら今替えればちょうどいいじゃないか、また乗り心地をよくするために扁平率を大きくしたい、するとサイズが変わる、ということである。

4WDなのでサイズが変わるとスペアタイヤが使えなくなる。でも最近のタイヤはパンクしにくいから最初からスぺタイヤがなくてパンク修理キットだけを装備している車もあるという。ならば替えちゃおうか、ということも思っていた。

モノの意思を感じたというのは、まだ使えるのに替えようとはけしからんと、嫌がらせをしたのはタイヤ自身ではないのかということだ。そんなことはあり得ないのだが過去にもそのようなものを感じたことがある。

父が突然死んで2~3日のうちに立て続けに、父が毎日沸かしていた風呂の釜が壊れ、父がねじを巻いていた柱時計が壊れ、父は使っていなかったが洗濯機が壊れた。モノも父の死を悲しんだのではないかと本当に思った。

安心してほしいが毎日モノにお供え物をあげているわけではない。そいういう巡り合わせもあるというだけのことだろう。でもモノの意思を尊重して大事に使うということもいいことだと思う。だから「捨てられない」のだが。

ちなみにパンクはガソリンスタンドで2700円で直してもらえた。

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